院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


ああ我が多趣味人生 〜 後半!

 


 前回紹介した私の趣味たちは、児戯に準ずる趣味ばかりではあったが、読者の感想も概ね好意的であると勝手に解釈し、そうであれば、それらの写真なども少しは見てみたいのではないかと強引に断定して、鉄道模型とダーツの写真をここに掲載する(写真1,2)。
さて、後半に紹介する趣味たちは、一般の認知度も比較的高く、生活を豊かにし、世の 奥様も少しは愁眉を開くであろうと期待するものである。

グルメな趣味
 まずはワイン。私がワインに目覚めたのは、今から六年ほど前で、四年前にちいさな家を建てたときにも、二階の一番眺めのよい場所にワインバーを造ったほどである。一時はビンテージ表を常に持ち歩き、酒屋のワインセラーを練り歩くのが無上の喜びであった。週一回は家族でワイン品評会を催していた。最近はお酒に少し弱くなったのと、慢性副鼻腔炎のためか、ワインの香りがあまり楽しめなくなったので、ワインを飲む機会は減ったが、それでも何かことあるときには、お気に入りのワインのコルクをあける。ブドウでいえば、赤ならカベルネソービニオンかシラー(ズ)、白は定番のシャルドネかちょっと気取ってケブルツトラミネールといったところか。最近は経済的な問題もあり(^_^;)、値段の手頃なオーストラリアやカリフォルニアを中心に物色している。我が家のワインセラーも(冷蔵庫タイプだが)、この頃だいぶ隙間だらけである。今年はヨーロッパではブドウのできが良いらしく、ボジョレーヌーボーには期待している。ちなみに私のお薦めのネゴシアンは、ジョルジュ・デュビュッフェ。お試しあれ。
 次にコーヒー。毎食後コーヒーを飲まないと落ち着かない。以前は、コーヒー専門店で産地、焙煎時期に拘って豆を購入し、ネルドリッブなどでコーヒー滝れのテクニックを磨いていたが、最近はやはり面倒になって、手軽に滝れられるエスプレッソメー力ー(ネスプレッソ 写真3)を購入。これがまた逸品で、とにかくおいしい。お手入れも手間いらずなので、細君の聞こえもめでたく、「あなたにしては久々のヒットね。」と言わしめた。スターバックスに行く必要なし。そういうわけで、まあ現在のコーヒー事情には満足しているが、時々冷蔵庫をのぞくと、忘れ去られたネルドリップが片隅で干からびているのを目にするにつけ、胸が痛む。そのうち復活するから、それまで待て! ネルドリップ君。
  炭におけない趣味として、まずはダッジオーブン。最近ダッジオーブンを購入。ダッジオーブンとは鉄製の重い鍋で、煮る、焼く、蒸す何でもござれの万能調理器具。昔西部のあらくれカウボーイ達が男の野外料理器具としてこれを活用したという。豪快で大雑把なレシピだが、これがまた旨い! 先日の連休、野外で炭火とダッジオーブンでローストビーフにトライ(写真4)。息子が「これまでで食べた一番おいしいお肉!」と絶賛。買ってよかったーと思わず目頭を熱くする。まだ初めて二ヶ月足らずで、趣味にまで至るかどうかは未知数だが、週一回はデッキに持えた簡易竈で男の料理に励んでいる。炭におけない趣味その二は炭火による焼き鳥調理器。備長炭による焼き鳥はまた格別。まじでおいしい。ねじり鉢巻きでうちわをぱたぱたすると、気分はもう焼鳥屋の親父(写真5)。
 炭におけない趣味その三は七輪。このほど練り物ではない天然削りだし珪藻土の七輪をネットで購入。高級和牛をじゅーじゅー焼くぜー!ほかほかホタテ貝、サンマの塩焼きだぜーと鼻息も荒く意気込んでいるが、まだ配送されてないので、結果は後日。
 テンションが高いまま書き連ねているとまたまた紙面が少なくなってきた。紹介したい趣味はまだたくさんある。年に二〜三回のキャンプしかしないのにランタンは八つ、ストーブも大小合わせて五つある。その他キャンプ用品数知れず。鉢植えを中心とした園芸も趣味の一つ。最近六ヶ月間は家庭の事情で怠ってきたが、この秋から再び復活の狼煙をあげる予定。コンピュータはノートが三台、デスクトップ二台。マックとウィンドウズの両刀使い。デジカメも新旧・高級安物合わせて十台近く。コンピュータ制御、自動導入機能付の天体望遠鏡を三年前に購入。今年は火星の大接近で極冠が見えるかと期待したが、その気で見たら見えるような気がする程度の解像度で、やはり口径20cmは欲しいなあとため息。忘れてならないのが、絵画鑑賞。ちょっと気取っているようで申し訳ないが、これは私の一生の趣味と断言する。ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、コロー、クールベ、セザンヌ、モディリアーニ、好きな画家の名をつぶやくだけで胸が熱くなる。絵画と画家への思い入れについては後日あらためて書かせていただきたい。
 多芸に無芸。二兎追う者、一兎も得ず。虻蜂取らず。器用貧乏。耳に痛い言葉である。しかし我が多趣味人生に悔いなし。魂の赴くまま、私はその時々の私自身を楽しんできた。ある趣味は廃れ、ある趣昧は続く。心を離れた趣味がある時ふと蘇る。夢中だった頃の魂の昂揚が、私的な嗜好すなわち趣味という小さな器に再び満ち満ちて、私はまた幸せな気持ちになる。私的な嗜好だから誰に気兼ねすることもなく、おもねることもない。わけ知り顔の大人達よ、社会人であり夫(妻)であり父(母)であるという重い鎧の下にある器、利己的で私的な小さい器に満たすべきものを見つけよう。決して現実からの逃避ではなく、むしろ現実に立ち向かう糧として。


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